「恋文」

 

「・・・これは?」

近くで書類整理を続けている事務官に、私は思わず聞いてしまった。

「今日届いた郵便物ですが」

当然、事務官は不思議そうな顔で私を見る。
毎日ではないとはいえ、これくらいの量の書類が届くことは、よくあるはずだ。

薄い封筒の束の中に、今日は1つだけ分厚い封筒が紛れている。しかも海外からの。

いや――エアメールが届くことも、そんなに珍しいことではない。
最近は担当する審理の何度かに一度は、国外とのやりとりをしながら進めることが必要になっている。
一年間の国外での勤務経験は、結果として私の仕事の幅を広げることになった。

だからとにかく、問題は封筒の表面的な特徴ではない。
私が戸惑っているのは、その送り主がありえないと思っている相手だということ。

――御剣怜侍。
端的に言うと私の同業者で幼馴染にあたるが、今はいろいろと複雑な間柄にある男だ。

“複雑”な事情のため、しばらく距離を置こうと数ヶ月前に約束していたはずだったのに
よりによってオフィスの方に堂々と荷物を送ってくるなんて。

約束違反だと口の中だけで呟くと、私は他の封書から中身を確認し始めた。
一番に開けるのは、何となく癪だ。

他の文書に目を通してから、私は御剣怜侍の名前入りの封筒に手をかける。
封を開けながら、心臓が少し速く脈打つのを感じた。

待ちきれずに開けたと思わないように後回しにしたのに
――これではまるで、「とっておき」にしていたみたいではないの。

途中で開ければ良かったと後悔しつつ、中を取り出すと、そこそこの厚さの書類が2つ。
少し遅れて滑り落ちるように、薄い封筒が、これも2つ現れた。

書類のタイトルだけ読んで、狩魔検事殿と書かれた方の信書らしきものを開く。

曰わく、海外研修で見聞したものを一つの報告書としてまとめる予定なので
草稿の段階で感想を聞かせてほしい、とのこと。

原稿が母国語だけではないところを見ると、それなりにしっかりしたものを作るつもりなのだろう。
――半年以上姿を消していたのだから、戻るには何らかの“実績”が必要ということかもしれない。

今年度、彼が海外研修を行っているのは、理想を追求したいという本人の希望もあるらしいが
本来ならば失職しているはずの彼の扱いに、上層部が困った末の救済措置だとも、噂に聞いている。

「そういう事情かもしれないなら、受けるしかないわね」
口の中だけでそう呟くと、私は深く溜息をついた。

――アメリカに戻る際、何の障壁もなく検察側の人間として復帰できたのは
もしかすると、彼が何らかの手を回したからかもしれないと思うことがある。

怪我の後、私は十分に引き継ぎを済ませた状態で療養休暇を取り、その上でアメリカに渡ったことになっている。
実際は仕事を放棄し、尻尾を巻いて逃げだしたはずなのに、そのことを誰も知らないのだ。

仕事を投げ出す人間だという評価に遭うことなく、しかも円満に日本からアメリカへ職場を移すことができたのは
奇跡でなければ、あの男の隠れたお節介と考えるのが妥当だと思う。

できれば1年間は接触を断つべきだと思っていたけれど、仕方がない。
私はすでに彼に大きな借りがある。これ以上、増やすわけにはいかない。

そう結論付けて再び溜息をつきつつ、私はもう一つの封筒を開いた。
――こちらはどうやら事務的なものではないらしい。

花の写真に彩られたポストカードを裏返すと
「親愛なるメイへ」という言葉で始まる、少したどたどしい英語のメッセージが綴られていた。

***

あれから数ヵ月――再び御剣怜侍から書簡が届いた。

そしてそれからずっと、私は悶々と思いあぐねている。
――“やっぱり、これには意味があると捉えるべきだろうか”と。

2ヶ国目の研修が終了したらしく、また新しいレポートができたので原稿のチェックを依頼された。
淡々とした依頼状も、見聞録と考察の内容の濃さも前回同様だ――悔しいけれど読みごたえもある。
そのため、チェック自体は何の問題もなく、暇を見つけてこなすことができた。

問題は、今回も添えられていた個人的なメッセージカードの方だった。
といっても、簡単な近況と私を気遣う言葉が綴られているだけで、特に困るようなところはない。

しかし――問題はカードの裏。
そこに印刷されているのが今回も花の写真なのだ――前回と、同じ花の。

カード自体は別の品のようなので、まとめ買いしたものを使い回している様子でもない。
同じ花であることに意味があるのかどうか、私が悩んでいるのはその点についてだった。

そこに写るのは青い――勿忘草。

慎ましい雰囲気の花で、その名は悲恋の物語に由来する。
主な花言葉は、名の通り“私を忘れないで”というものだ。

離れて暮らす私達にとっては、そのままやり過ごすには気にかかるフレーズだ、と思う。

それだけに看過できないこの花言葉だが、これは彼のメッセージとして捉えるべきなのか、どうだろうか。
――そもそもこの手紙の送り主は、花言葉を使えるほど機転のきく男だっただろうか。

彼――御剣怜侍は、一見武骨なようでいて、繊細で乙女趣味な男だ。
紅茶が好きだったり、生まれつきの習慣でもないのにフリルのようなクラバットを、何の抵抗もなく幾重にも巻くことができる。

しかし同時に、繊細なようでいて、武骨で鈍感。
子供向けのヒーロー番組が好きで、やたらと身体を鍛えていたりもする、少年のような男でもある。

――本当に掴みどころの難しい人だと思う。
女性の扱いも、細かいポイントを的確に押さえているように見えるが、実は全くの無意識によるものだし・・・。

そういうことを考えると、彼が花言葉を使うことは、あり得そうだし、あり得ないような気もする。

この手紙の件も、単に私が花を好きだということを思い出して選んだだけかもしれないし、
花言葉を知った上でのことかもしれない。どちらの可能性も十分に考えられる。

遠くの相手の意図が全く見えないということが、、何となく私を落ち着かなくさせていた。

そんなわけで、私は彼に返事を書くために使う絵葉書を手に入れるため
仕事帰りにポストカードの売り場を延々と歩き回っていたけれど――段々と考えるのが馬鹿らしくなってくる。

「まあ、いいわ」
結局私は、 この前送ったものと同じ、デイジーのカードを手に取った。

――実を言うと、この前もこうやって悩んだ挙句
勿忘草の返事に取れないこともない、この花の写真を選んで送っているのだけれど。

もし彼が花に意味を込めたのならば、彼はきっと私の返事を読み取ることができるだろうし
特に意味がないのであれば、この自意識過剰による返信は、その存在すら気付かないことだろう。

向こうから何か言われたら、「そんなに深く考えていなかった」と恍けてしまえばいいのだ。
 
 
立ち疲れた私は、その足で近くのカフェに寄り、そこで買ったばかりのカードに簡単なメッセージを書いた。
それを封筒に仕舞うと、私は鞄の中の大きな封筒の中にそれを放り込む。

――明日、この封筒は御剣怜侍に向かって旅に出るだろう。
届いた中身を彼がどのように受け止めるかは、全て彼自身の自由にすればいい。

***

――やはり、これは意味があると捉えて良いのだろうか。

メイから送られてきた封筒の中身を確認して、私はそんな風に思いを巡らせる。

前回と同じように、びっちりと赤による書き込みのされた私のレポートと、送り状。
そして、個人的なメッセージへの返事の書かれたカード。

淡々と、自らが息災であることと、私の健勝を望むとの文言だけが記されたそれは
非常に素っ気なくて、ある意味彼女らしい。

――だが、一つだけ、気になることがあった。

メッセージカードは絵葉書と思われるもので文字の裏面には花の写真が印刷されている。
ありふれたデザインと思われるごく普通のカードだが――。

前回に彼女がくれたカードを手帳から取り出して並べると、やはり同じものだと判断できた。

名も知らぬその小さな赤い花は、彼女が何度も使うほど好きなものではないように思う。
――彼女の好みは、もっと鋭角的で大輪のものだったような気がする。

そんな花の写真をわざわざ2度も使うのには、何か意味があるのだろうか。
昼下がりの休憩中に、私はぼんやりとそんな風に思いを巡らせていた。

とはいえ、私もすでに2度続けて、同じ花のポストカードを彼女に送っている。
私の方は基本的に、深く考えずに送ったので
彼女の方に意図があると考えるのは、自意識過剰なのかもしれないとは思う。

私が同じ花――勿忘草を選んだのは、
その青色と花自身から受けた印象が、等身大の彼女を彷彿とさせたからにすぎない。

だから、1度目の返事が赤い花のポストカードに書かれているのを見た時には
彼女が私に合わせて、私の好む色の花を選んだのかと思っただけだった。
――これ自体も、こちらの自意識過剰だったのかもしれないが。

そんな私が花には“言葉”が隠されていることを思い出したのは、2通目のメッセージを書く直前のこと。
ポストカードを借りていたデスクに置いていたところ、研修先の職員に声をかけられたのだ。

“あら、綺麗な勿忘草ですね”

それが名前と同じように「忘れること勿れ」という恋愛味を帯びた花言葉を持つことを、私はそこで教えてもらった。

そして、その日のうちに思い出したのである。
彼女は花に造詣が深く、花言葉も良く知っていたことを。

――ということは、彼女もこの花を見て、その花言葉に思い至ったのではなかろうか?

だとしたら――まず頭に浮かんだ考えは、
「私を忘れないでくれ」と再三伝えていると、彼女に受け取られているのかもしれない、ということだった。

その瞬間、身体の下の方からすごい速さで体温が上がってくるのを感じたことが、やたらと記憶に残っている。

それくらい恥ずかしくなってしまった私は、別の絵葉書を買い直そうかとも思ったが――
結局私は、そのまま勿忘草の写真を書類に同封した。

報告書の作成にあたって、同業者で英語と日本語に堪能な彼女に意見を聞きたかったのは確かだが
忙しいであろう日々の中でたまに私を思い出してもらうことを狙って彼女に送ったというのも、間違いではなかったから。

そして――もうひとつ。
花の由来を知った後で私が思いついたことがある。
――彼女から送られた花は、その返事なのではないだろうか、ということだ。

野に咲く、小さな赤い花――私は、その花の名前を知らない。
ポストカードにも一切、そこに言及された部分がなかった。

勿忘草について教えてくれた職員に訊ねようかとも思ったが
恋文かもしれない・・・本心としてはそうであってほしいものを、人に見せるわけにもいかない。
――もし相手がこの花の花言葉を知っていたら、非常にプライベートな部分を知られることになるかもしれないのだから。

結局、私は自力でどうにかすることを選択したのだが、
文化的に不慣れな土地で名も知らない花について調べる術を、思いつくことができなかった。
 
 
そうして謎を残したまま悶々としているうちに、私は次の研修先へと移動し、
2通目の書類と絵葉書を受け取ったわけなのだが。

同じ花の写真が送られてきたということは、やはりこれは彼女の返事なのだろう――私はそう結論付ける。
だがやはり、これが何の花であるかを示す手掛かりは、カードの中に見つからなかった。

赤い花だけに、愛情を示す言葉なのだろうか。
それとも――もう送ってくるな、という意味がある花なのだろうか。

相手の思いを知りたいのに、全く見えない。
それが私の期待と不安をやたらと煽った。

言語であれば辞書を調べれば良いのだが、写真ではそういうわけにも――
そこまで考えた私は、ふと、あるものの存在を想起する。

――写真だったら、図鑑があるではないか!

植物図鑑であれば、載っているに違いない。
絵葉書になるくらいだから、専門的な書物でなくてもきっと見つかるはずだ。

ようやくそう思い至った私は、居ても経ってもいられなくなったが、ふと気付くと昼休みもそろそろ終わる時間となっていた。
さすがに抜け出して、法律書でも語学書でもないものを探しに行くわけにもいくまい。

いつもならば時間が気にならないくらいに熱中する研修の時間も
その日ばかりは何度も時計を見ては、自由な時間の到来を密かに心待ちにして過ごすことになるのだった。
 
 
宿に帰って図鑑を開いた私は、膨大な数の花の写真と睨み合いをしながら思った。
これは、今晩だけでは見つけられそうにない、と。

そして、今度彼女に手紙を書く時は別の花の写真を送ってみたらどうだろうか、とも。
 
 
――“あなたと同じ気持ちです”
 
件の赤い花にそんな意味があることまで私が辿りつけるのは、それからしばらく後の話である。
 
 
<おわり>