「言葉の裏に」

 

多くの関係者にとって念願となっていた有罪判決が被告人に降り
御剣は安堵に似た溜息をついて法廷を出る。

廊下では糸鋸刑事と美雲が待っており、二人はそれぞれの表情で御剣を迎えた。
いつも通り刑事に検事局に送ってもらうため、連れ立って玄関の方へ歩き出す。

ふと、廊下の片隅に鎮座する自動販売機に目が止まった。
――相変わらずのラインナップなのだな
カツサンドに牛乳、いよかん……統一性のない品ぞろえに懐かしさを感じて
御剣は思わず表情を緩めた。

ふと美雲を見ると、いつも元気なはずの彼女がどことなくノスタルジックに、その機械を眺めている。
その横で糸鋸も、気遣うように美雲と自販機を交互に眺めていた。
裁判の帰りにはいつも、父親と一緒にこの自販機のどら焼きを食べていた……
昔、彼女がそう言っていたことを想起する。

「懐かしいな」
その言葉が場に沿ったものなのかはわからないが、御剣はそう呟くと財布を手にして自販機を操作し、どら焼きの包みを取り出した。
包みを開けて個包装された2つのどら焼きを手に取ると、美雲と糸鋸に一つずつ手渡す。

「帰ろうか」
二人は御剣の行動に呆気にとられていたようだったが
御剣が改めてそう声をかけると、まず美雲がぱっといつもより明るい笑顔を見せた。
「うん!」
「はいッス!」
刑事も同じくらい嬉しそうな表情で頷く。
いきなり足取りの軽くなった二人を眺めて、御剣も温かい気持ちになった。

歩きながら、中身のなくなった包みを何となく目の前にかざすと
この商品へのこだわりが細かく説明されたキャッチコピーらしき文言が目に入る。
――そう言えば、メイも似たようなことを言ってこのどら焼きを褒めていたな。
このどら焼きの美味しさの秘密を得意げに熱く語っていた幼いメイの姿が、御剣の脳裏に浮かんだ。

今はここにいない、あの時一緒に真実に立ち向かったはずの……そして一緒に帰ったはずの少女に
御剣はぼんやりと、思いを巡らせる。
 
***

『これは何?御剣怜侍』
『御覧の通り、法廷名物のどら焼きだが』

7年前――デビュー戦を逃して数日後。
裁判所に立ち寄った御剣は、再びあの自販機の前に立ち、しばらく迷ってからどら焼きを1包み買った。
帰宅後に冥の部屋まで赴きそれを渡すと、不機嫌そうな表情がドア越しにそれを突き返す。
『いらないわよ!』

『レイジにおごってもらうなんて、クツジョクもいいところだわ!』
反抗期真っ只中だからなのか、冥は数年前から御剣に対してこういう態度を示すことが多かった。
本当に難しい年頃だ、と兄のような気持ちで御剣は溜息をつく。
経験による勘は、冥はこのような和菓子が好きだし、恐らく本当は食べたいと思っているはずだと告げている。
もし言葉を鵜呑みにして、このまま引っ込めて御剣が食べてしまうと、それこそ鞭沙汰になることは間違いない。

御剣は鞭の餌食にならずに冥に渡す方法を即時に考案して、それを実行することにした。
『とりあえずリビングの棚に置いておく。明日のティータイムにでも食べるといい』
そう告げて踵を返すと、後ろからぽつりと小さな声が聞こえた。
『ネズミあたりに食べられても知らないわよ』

次の夕方、狩魔邸に帰宅した御剣は、リビングで緑茶を啜る冥の姿を見つけた。
ガラス張りの戸棚をちらりと見ると、置いてあったどら焼きの包みがなくなっている。
御剣と視線を合わそうとしない冥の様子も併せて考えると、何が起こったのかは何となく想像できた。
『どら焼きは、評判通りの味だったか?』

すると、やはり御剣の方を見ようともせず英語の文献に目を通していた冥が、不機嫌そうに言葉を返した。
『知らないわよ。ネズミが持っていったんじゃないの?』
もちろん、カンペキな狩魔邸でネズミの出没など許されるわけがなく、
使用人たちの努力によって、そうした事実は起こってこなかった。
そしてきっと、これからも彼らはそうし続けていくだろう――屋敷の主に対する畏怖を動機に。

恐らく、いらないと言った手前ばつが悪くて、冥は素直に食べたとは言えないのだろう。
だが、包みも全てなくなっているところを見ると、
全部食べてしまうくらいには気に入ったということだと、御剣は判断した。
『そうか。ではそのネズミのために、また買ってくるとしよう。』

メイの滞在中、裁判所に行くたびにどら焼きを買ってきては食堂の戸棚に入れておいた。
すると、24時間以内に少なくとも1つは棚から消えていく。
どうやら、ネズミは御剣のいない時間帯にしか出没しないようなので
どんな風にそれが消費されていったのかは今でも闇の中である。

ただ、その夏メイがアメリカに帰った後、棚にどら焼きを置いてもネズミは出没しなくなり
御剣の紅茶コレクションには手に入れた覚えのない、未開封の茶葉の缶が増えていた。

メイに与えられていた小遣いの額を考えると相当奮発したはずの、ブランドショップの新商品。
御剣はそれを、彼女が戸棚の菓子を喜んでいた証拠だと捉えることにした。

***
 
それ以前から、本当は欲しいものを「いらない」と言う時のメイの態度は、本当にわかりやすかった。

「いらない」と言いつつも、対象物の特徴や背景についてやたらと詳しく知っている。
そして、時折ちらりとそちらを見て気にしているのに、手に入れることを前提に話をすると、むきになって突っぱねる。
とげとげとした高飛車な態度が逆にわざとらしく、より対象への未練を醸し出していることを
きっと彼女は自覚していないのだ。

ふと、そこまで考えて、数日前の彼女の態度が御剣の脳裏をよぎる。
多くの時間を割いて考えたのであろう、御剣と冥の関係に対する考え、
無理矢理にでも拒絶を貫こうとするとげとげしい態度、そのくせ背中越しに時折交差する視線――

彼女のあの言葉と態度は、確かに彼女が導いた結論そのものなのだろう。
だが、それと彼女の心情や本音が同じであるとは考えるべきではないような気がした。
あくまで状況証拠による予想に過ぎないが、彼女の本心は、その言動の対極にあるのかもしれない。

だとしたら、彼女の言葉の通りにこのまま関係を断ってしまうのは早計である。
彼女を苦しめぬためには離れるべきなのかもしれないと弱気になる度に、
御剣の経験と勘が、それを踏みとどまるようにと警鐘を鳴らしている。
だがやはり、全ては推測にすぎないので、決めつけて何か行動を起こすことは憚られた。

茶菓子のようなものなら、昔と同じように手の届く場所にでも置いておけば
彼女はきっと御剣がいない機会を見計らって、それを手にするのだろう。

しかし今回彼女が受け入れようとしないのは、御剣の存在そのものなので
「御剣がいない機会」など、ほぼ無きに等しい。
恐らく全力で反発してくると思うので、“とりあえず近くに置いて様子を見る”形で
彼女の真意を検証していく方法は難しいかもしれない。

かといって、御剣がメイを憎んでなどいないこと、そしてどれだけメイを大事に思っているかをわかってもらうために
彼女に会いに行ったとしても、今の状況では御剣のエゴを押しつけることにしかならない。

きっと何年も何年も時間をかけて、自然に伝わることを待つしかないのだろう。
だがこのまま離れてしまったら、その機会もなくなってしまうのかもしれない。
――どうすれば、いいのだろう?

そんなことを考えながら、執務室でひとり雑務をこなしていると、ドアを強くノックする音が静かな部屋に響いた。
「……開いている」
御剣がそう応じると扉が勢いよく開けられ、最近よくここに出入りする人物――狼捜査官が姿を現した。
「よう!検事さん」
 
「連絡した通り、この間の法廷資料を借りに来たぜ」
メイが資料を欲していると狼を通して連絡があったのが、昨日の夜。
御剣は資料をまとめて用意して、雑務をしながら狼の来室を待っていたのである。

「お待ちしていた」
机の上の分厚い封書を手渡すと、狼は短く礼を言ってそれを利き手ではない腕で抱える。
その様子を見届けてから、御剣はいつも通りの言葉を捜査官に投げかけた。
「メイは……狩魔検事は、無事にしているだろうか」

何度か連絡はしているのだが、冥は電話に出ないし掛け直してくる気配もない。
数日毎に顔を出す狼捜査官の話以外に、御剣には外に出てこない彼女の様子を知る術が存在しないのだ。
「ああ、部屋で鞭を振り回す程度には元気だぜ。」
相変わらずだな、と御剣が苦笑すると、狼も同調するように笑みを浮かべた。

「だが、仕事に熱中してるせいか、ちゃんと休養はとってないみたいだな」
笑顔から一転、男の表情と声のトーンが抑えられる。
「また、無茶をしているのか」
そう問うと、狼は難しそうな表情で首を縦に振った。

「ま、命が狙われてるかもしれない状況でグースカ寝られないのは仕方ねえことだがな」
その言葉から、メイがナーバスになっていることが暗に窺える。
1年前の狙撃の後、表情には出さずとも彼女の身体が震えていたことを、御剣は不意に思い出した。

最小限まで抑えていた、メイへの心配やその他諸々の感情が、御剣の中で大きく蠢きだす。
捜査官から彼女の居場所を聞き出して、すぐにでも傍に行きたい衝動が、体中を支配しだした。

だが、自分が傍にいることが彼女にとっていい結果をもたらすとは限らないと言い聞かせて
御剣は何とか平静を装うことに成功した。
「……そうか。せめて、何か気晴らしでもあればいいのだが。」

「ああ、俺もそんな風に思ってな。アネさんが好きそうなものを差し入れようかと思ってるんだ」
メイの好きなものを思い浮かべて、御剣は狼にそれを伝えておこうと考えた。
「彼女は法廷の自動販売機のどら焼きが好きだった。あれを買っていくと喜ぶだろう」

捜査官はその言葉に相槌を打つと、何かを思い出したかのようにポンと手を叩いた。
「……ああ、だが、そうだ。残念だな。
  俺は用事があって今日はあっちの方には寄らねえんだ」

何となく、その仕草や言葉の音色がわざとらしさを醸し出している。
「けど、アネさんは相当疲れてるから、できるだけ早く、好物を持っていってやりたいんだよな」
捜査官の目が、意味ありげに笑っている。
「誰か、夜になっても構わねえから、そのドラヤキって奴を
  アネさんの部屋に届けてくれる優し~い検事さんはいないもんかね?」

どうやら狼は、御剣をメイの所に連れていくと言っているようである。
――メイに、会える。
そう感じて逸る気持ちを抑えながら、御剣は表面上冷静に狼に確認を取る。
「私を連れていくことを、彼女は望んでいるのだろうか?」

「俺の独断だから、それは知らねえな。」
「メイは私からの電話に出ない。行けば余計に情緒を乱すのではないだろうか?」
そう尋ねると、狼は少し困ったように唸ってから、それでも自信ありげに御剣に応える。
「顔には出さないだろうが、ドラヤキより喜ぶと思うんだがな」

その妙な自信に、御剣は問い返さずにはいられない。
「それも、あなたの独断だろうか?」
「いや、これはアネさんとの話に基づく判断だな」

「メイが、私的なことを話したというのか……?」
――あのメイが、仕事の関係者に?
驚いて問い返すと、狼は何かを思いだした様子で楽しそうにクツクツと笑った。
「まだハタチにもなっていない嬢ちゃんの意地っ張りなんざ、崩すのは簡単だったぜ」
捜査中の様子から、狼がメイを手玉にとっているように見受けられることが多かったが
やはり彼女の敵う相手ではなかったようである。

思わぬ援軍を目の前にして、御剣は全身から力が湧いてくるような感覚を得た。
当事者である自分では仮説としてしか掴むことのできなかったことを
どうやら、第三者である彼がより確固としたものとして見つけてくれたようだ。

少なくともメイは、御剣に傍にいて欲しくないわけではないのだ……と。

「つまりあなたは、彼女の発言から、私と彼女を会わせることが良いと判断するのだな」
念のため最後にそう確認すると、狼が手を掲げ、御剣を指して自信たっぷりに笑う。
「そういうことだ。まあ、会った後どうなるかは、アンタ次第だがな」
それを聞いた御剣は、ニヤリと人の悪そうな笑顔を返した。

「そういうことならば……今日は定時に仕事を終わらせるとしよう」

 

<おわり>