「パートナー」

 

ふたりで、並んで歩く。

御剣は、ババルの大使館へ、メイは、ローズガーデンへ。
途中まで行き先が同じであるため、ただ成り行きで2人は同行している。

ふたりきりで歩くのは、先月のことを思い出して何となく気まずい。

御剣は何を話してよいのかわからなくなって黙り込んでしまっていた。
そしてメイも、ツンとすました表情で前を見て歩き、一言もしゃべらない。
先ほどまで上司と部下の関係をどこか楽しんでいたとは彼女とは、
どこか別人のような隙の無さだった。

先だけを見据える瞳に、彼女の口癖がふと重なる。

“狩魔は、カンペキをもってよしとする”

もともとは彼女の父の言葉で、彼女は幼いころからそれを受け継ぐことを宿命としてきた。
そのために、彼女は多くの苦悩を強いられてきたはずだ。

なのに、彼女は未だ、これを自らの信条としている。

もちろん、1年前と比べてメイの表情は明るくなり、仕事への姿勢からある種の乱暴さが薄れた。
先月には、ネックとなっていた“父への依存”を否定する発言もしている。

ただ、それでもどこかに呪縛が残っているのでは……?
そして、今でも無理をしているのではないか……?
彼女が“カンペキ”という言葉を使う度、そう感じて心配にならずにいられないのが御剣の正直なところである。

「キミは、今でも“カンペキ”を求めているのだな」
意を決して、御剣は口火を切った。
突然の発言に、メイが少し驚いたような表情で、不思議そうに御剣を見る。

「先ほど検事の使命について議論した時も、その言葉を口にしていた」
御剣がそう応えると、メイはしばらく思いを巡らせているようだった。
途中で何か思い当たることがあったのか、ニヤリと御剣に笑いかける。
「私が言葉とは裏腹に、今もパパに依存しているのではないか……そう思っているようね」

「……キミには、自由でいてほしいと願っている。」
はっきりとした返答は、避けた。
「自由、ね……」
メイが考え込むような表情を見せ、御剣から視線をそらして前を見る。
そのまま、早足で数歩先を歩いていった。

「あなたも知っているとおり、私は正直なところ……天才ではないわ。
  けれど、それでも敢えてそれを目指せば、より高みに行ける。」
メイが手を上に挙げ、伸びをするように首を上方にそらした。
数歩後ろにいる御剣に、その表情はわからない。

「同じように、敢えて“カンペキ”を目指せば、より……いい仕事ができる。
  私が求めているのは、そういうものよ。」
その声には揺らぎがなく、生き生きとした精気が宿っている。
その言葉は、彼女自身の考えに基づいて改めて構築され、すでに独自のものとなったということか。

――私はもう、パパに支配されているわけではない。

彼女が暗にそう言っていることが伝わった。
「そうか、……ならば良いのだ。」
御剣は、杞憂だったことを実感してこの話題を終わらせる。

御剣の言葉の終わりとほぼ同時に、メイが立ち止まって振り向いた。
そして追いついた御剣の隣に並ぶ。
そして横から、拳で御剣の肩をトンと叩いた。
軽い力だったのに、受けた肩から重みが伝わってくる。

「私達の道はこれからきっと……何度でも、今日のように交わっていくでしょうね。」

見上げるように御剣を見るその眼は挑戦的に、そして楽しげに瞬いた。
その光が御剣の目を通して、その脳の奥に突き刺さるような衝撃を与えた。

「もし私が道を誤っているように感じたのなら、あなたはお節介を焼きにきてくれるのでしょう?」
一年前のように、そして、今のように。
「私も、あなたがらしくない真似をしていたら、遠慮なくこのムチで背中を張り飛ばしてあげるわ。」
一月前のように、そして、ムチではなかったが、先ほどのように。

先刻、前に進むことをためらった御剣の背中を押したのは、メイだった。
――……私は、一人で戦っているのではない。
その時の大きな安心感を思い出して、思わず笑みが漏れる。

同じ職の人間の中でためらいなく背中を預けられる存在がどれだけ貴重なものか……
一度、この道が何一つ信じられなくなったことのある御剣は、そのことをよく理解していた。

「頼りにしてるわよ、“パートナー”」
その言葉に、御剣は少しの間、驚いて固まったが
ほどなくして、先ほどのメイと同じように横にいるメイの肩を軽く叩く。
「それは、心強いな」

互いに腕を交差させたまま、二人はニヤリと笑い合っていたが
しばらくして、メイが何かを思いついたようにぷっと吹き出した。
「……どうした?」
怪訝に思って御剣が尋ねると、メイは口元を押さえながら首を横に振る。
「いいえ」

メイが御剣に触れた革手袋とその中身を降ろすと楽しそうに目を伏せる。
「あなたには、何人パートナーがいるのかしら……と思って」
弁護士で親友の成歩堂龍一と忠犬の如き糸鋸刑事も、それぞれ御剣の相棒を自負し
御剣も片方ははっきりと、もう片方には本意ではないような素振りを見せつつ、それを認めている。
ちなみにメイは知らないはずだが、美雲も糸鋸刑事の助手の座を争って御剣の手助けをしてくれていた。

「そ、それぞれ協働する場面が違う。それぞれが私にとって必要な存在だ」
何故か浮気心を咎められたような気分になり慌てて言い返すと、メイがクスクスと笑った。
「わかっているわよ。」

「そうやってあなたが自分の力で得てきたモノを、せいぜい大事にすることね」
メイはそう言って右手の拳を御剣の胸にとんと軽く当て、くるりと身体を翻す。
「それじゃ、あっちの捜査をよろしく。部下さん」
後ろ姿のメイが、その左手をヒラヒラと振って去って行った。

同時に、建物の方から複数の足音が聞こえてくる。。
事件現場の指揮をとっていた狼捜査官とその部下たちが、遅れて到着したようだ。
メイは検事嫌いの男の方へ歩み寄り、よそゆきの凛とした表情で話しかける。
堂々と渡り合っている姿は、御剣の兄心を温かくした。

ふと、先程彼女が御剣を呼んだ言葉を思い出す。
――パートナー。
ひと月前に、御剣がメイを呼んだ言葉だった。
その時彼女はむしろ悔しそうにしていたので、
素直に受け入れてくれているとは思っていなかった。

ただ、もしかすると、御剣を追いかけてきたメイにとって
対等なニュアンスを持つその言葉は悪くないものだったのかもしれない。
先程の様子だと、メイはその関係を気に入ってくれているようだった。

一方で、彼女は御剣からの兄妹としての親愛も、男としての思いも、慣れ合いは無用と撥ねつける。
……ただしそれは、受け入れられない求愛の末路としては、妥当なのかもしれないが。

しかし、検事としてならば、彼女はそれほど御剣のことを拒まない。
鞭を振り回しながらも手を貸してくれるし、彼の言葉にもちゃんと耳を傾けていた。
プライベートに踏み込みさえしなければ、悪く思われていない様子だった。

本当は、踏み込みたい。
昨日今日と彼女から感じる見えない鉄壁と、そこはかとなく漂う妙な不安定さについて
追及したくて仕方がなかった。

もし彼女が苦しんでいて、そうすることが必要であれば
御剣は彼女が怒り狂ったとしても、絶対に踏み込んで必要なだけ立ち回るつもりでいる。

だが、現状ではその確信には至っておらず、
事件の解決が最重要だということが現場にいる人間の一致した考えである以上
多くを踏み荒らして深入りする必要は存在しない。

メイが検事としての絆を求めているのであれば
御剣は喜んでそれに応じるのみだ。

それが、検事であることに全てを注いでいるかのような彼女にとってきっと重要なものであり、
同時に、一番身近な存在でいられることを意味しているのだから。

******

打ち合わせを終え、ひとりで捜査を続けながら
冥は頭の隅で、御剣のことを思う。

“パートナー”という呼び方は以前に茶化すように言われたことがあった。
その返礼として、同じように戯れのつもりでその言葉を口にしたのだが
喉を通って耳に響いた瞬間、冥は妙な納得と共にその言葉の持つものを実感した。
御剣と自分の間に、新しい絆が構築されたのだ、と。

「兄弟弟子」「兄妹同然」……今までのように父に由来する関係ではなく、
互いにぶつかり合いながら積み上げてきたものが確立された産物。

それはプライベートと対極にあるものだったが
個人的な面では複雑すぎる二人の関係を思うと
いっそのことそれだけを選び取った方が、より良く繋がっていられるのではないかと冥は考える。

信頼していた父親の“正体”を知ったことに起因して
大事に思えば思うほど相手を信じられず疑心暗鬼になっていく自分を、冥はもう体験してしまっている。
私的にはもう、誰かに心を預けることはできないだろう……彼女はそう予感していた。

だとしたら、御剣を仕事の上で信頼できる相手として見做していくことが
彼を失わずに済む唯一の方法なのかもしれない。
そう結論付けて、冥は心を決める。

御剣は、同じ目的地を志す“パートナー”だ。
たとえ道筋が違っていても、そして彼にとっては多くの相棒のうちの一人に過ぎないのだとしても。

ひたすらに検事として生きていくことを決めた彼女にとって、それはおそらく一番大切な存在を意味している。
しかし彼女自身はそのことを全くもって自覚せぬまま、決意を新たに仕事へと意識を集中させていった。

<おわり>