「Sibling」

 

早すぎる再会は、御剣怜侍にとっては突然のものだったが
冥の方は、少なくともその可能性があることを知っていた。

国際警察との連携のため、ひと月ぶりに来日したのが先週のこと。
捜査の展開によっては、しばらく日本に留まるになると予想されている。
そして一方で、御剣怜侍がそろそろ海外研修を終えて帰ってくることを耳にしていた。

そうした状況から、御剣の帰国後も冥が日本に滞在する可能性は、
全くもって否定できないと冥は考えていた。

先月の気まずさから、冥はこのひと月御剣と連絡を取らなかったし
御剣の方からも一切の連絡はなかった。
できればもう少しほとぼりが冷めてからの接触を望んではいたが、
時期が重なれば、同じ検事局に出入りする以上会わない方が難しいだろう。
冥は任務中なので、逃げるわけにもいかない。

そのため、ある程度は覚悟もして、やりとりのシミュレーションも済ませていたが……
まさかこんな形での再会になるとは、さすがに予想できなかった。

******

着信は、協力関係にある捜査官からのものだった。

「……アネさん」
日頃は豪快な男にしては、暗い声が受話器から響く。
「何かあったの?ミスター・ロウ」
一呼吸置いてから、ロウと呼ばれた男が低い音で凶報を告げた。
「アクビーが、殺された。」

それは、冥が今から落ち合う筈だった捜査官の名前だった。
「そんな……」
驚きのあまり、しばらく二の句が告げなかった。
電話の相手も友人の死を悼む思いからか、積極的には話を続けようとしない。

「 ……詳しい状況を」
ようやく言葉を紡ぎ出すと、それに応じるように捜査官が冥の要請に応じる。
今度は逆に、途切れることなく一気に捲し立てるように、状況が語られていった。
「現場は例の旅客機だ。航行中の機長から先程連絡が入ったのさ。
 ただ、安心してくれアネさん。容疑者は乗務員と有志によって既に拘束されている」
その言葉に冥は安堵した。

だが、それも次の瞬間にあっさりと打ち砕かれることになる。
受話器の向こうから、再び耳を塞ぎたくなるような情報が届けられた。

「容疑者の名は、ミツルギ・レイジ」
“ミツルギ”というファミリーネームは、非常に珍しいと聞いている。
恐らく容疑者の素性は……冥の知っている男――御剣怜侍である可能性が高い。
冥の視界が、くらくらと歪んでいくような錯覚にとらわれた。

「……確か、アンタの父親の門下に、そんな名前の男がいたな」
何となく刺々しい空気を、受話口の向こうから感じ取る。
捜査の合間の雑談中に、この捜査官があの男のことを苦々しく語っていたことを不意に思い出した。

「同門どうし、やりにくいなら俺がそっちに行くが、どうする?」
容疑者となったあの男に対峙することを、冥は少しだけ躊躇している。
だが……それよりも強い思いが、彼女を支配した。
「もしその男が殺したというのなら……私の手で引導を渡すべきだわ」
今度こそ、身内の犯罪と向き合うべきだ――冥の中で何かがそう告げていた。

冥の言葉を受けて、捜査官はそうか、とあっさり承諾の返事を寄越した。
ただ、終話間際にチクリと牽制を投げかけられる。
「馴れ合いはよしてくれよな」

「……当然よ」
何とかそう言いきって電話を切ると、冥は思わず深い溜息をついた。
まずは亡くなった同志のために短く祈り、
それから捜査の方針について思考を巡らせる。

普通に考えて、ただファーストクラスにいるだけでは殺される理由がない。
だとすると……アクビー殺しの犯人は、彼が捜査していた密輸組織の一味である可能性が強い。

つまり、御剣怜侍がアクビーを殺したという情報を信じると
彼は密輸組織の人間である可能性が濃厚となるのだ。

けれど殺人にしろ密輸にしろ、あのレイジがそんなことをするわけが――

そこまで考えて、冥の中で誰かが囁いた。

――あのパパがあんなことをするはずがないと、未だに思っているのは誰?

父親の顔を思い浮かべても、彼の犯した2件の殺人を結びつけることができない。
客観的に記録を眺めると、あれだけ明白に事実を物語っているというのに。

第一、冥や連携中の捜査官たちが日本に集っているのは
父の友人であった天野川丈一郎の容疑を固めるためでもある。

御剣怜侍は、天野川の口利きで研修先の検事局を紹介してもらっていた。
彼は密輸組織に大きく関わるその男と懇意にしており、この1年間世界を旅している。
それに、彼にはそれ以前に、約1年の「空白の時間」がある。
つまり、そういった視点からも、彼は組織との接触がないとは断言できない立場にあるのだ。

――いったい、何を信じたらいいのだろう?
あの疑いようもないほど不器用でお人好しな男でさえ、信じることができないなんて。
足元がぐらつくような感覚に襲われる。

だが、冥はすぐに自分を現実に引き戻し、落ち着いて頭の中を整理する。

もし、御剣が無実だとしたら、彼は自力で疑いを晴らそうとするだろう。
少しの自由と彼自身の才能があれば、かなりの確率でその目的を成功させことができるはずだ。
つまりこの場合は、冥が直接に助力する必要はない。

だが、もし……御剣が殺人を犯していた場合、だ。
その時は、何があっても……冥の手で彼に引導を渡す。

彼はその才能をフル活用して、欺こうとするだろう。
この前の法廷でのやりとりを考えると、冥と御剣の実力差は
どれだけ楽観的に考えても、ハンデをもらってようやく5分5分……といったところ。
向こうが全力で冥を騙しにかかれば、「今まで通り」に、騙されていることにも気付かない事態になるかもしれないし
もし何かがおかしいと感じても、最終的に論破される可能性が非常に高い。

だとしたら、冥がとるべき態度は自ずと決まってくる。
100パーセント以上の全力をもって御剣怜侍を疑ってかかる――馴れ合うことなど、もっての外。
それが唯一、彼の背景にある真実を見極める術なのだ。

あの男を……家族同然の人間を疑うしかない事態に、冥の心はどんよりと重くなる。
だが、これは自分が信じた道を貫くためには、必要な過程だ。

冥はそう自分に言い聞かせ、捜査へと気持ちを切り替えていった。

******

「……謝らないわよ」
すれ違いざまに、小さな声が聞こえたような気がした。

声のした方を振り向くと、ほんの一瞬だけブルーグレイの光が反射するのが見え、
御剣は先程の声が空耳ではないことを確信する。

兄弟喧嘩の後のような、少し不貞腐れた彼女の表情が
相変わずの子供らしさを醸し出していた。

“兄妹同然の御剣をメイが疑うわけがない。”
二人のこれまでをよく知る男が執成すようにそう言った時、
メイは鞭を振り回し、低い声で唸った。

『たとえ身内であったとしても‥‥
  ‥‥犯人でないというホショウはない‥‥!』

それに対して御剣は、彼女の名を呟くことしかできなかった。

まだうら若いその娘が、どうして身内を信じられないのか。
……そして、信用しようとしないのか。
彼女のこれまでの人生がそうさせるのだと、御剣は知っているからである。

1年前、御剣は荒んでいたメイをどうにか助けようとした。
その甲斐もあってか、検事・狩魔冥はこうして世界を股にかけての活躍を見せている。

だが、ひとりの個人としての彼女は、救われたのだろうか。
あれだけ慕い信じていた父親が、殺人犯として帰らぬ人となったことに対して
心中の決着をつけることができたというのか?

先程の表情を思えば、その答えは明白だった。

威風堂々とした職業人としての彼女の裏側には
思い詰めたままの少女が眠っている……御剣には、そんな気がしてならなかった。

メイが御剣を犯人と決めつけて怒っていたのも、近寄るなと言わんばかりに鞭を振るい出したのも
検事という鎧の内側にいる、生身の彼女が……いや、
生来の嵐のような強さによって覆い隠された、彼女のもう一つの本性であるナイーブさが
精神的な防衛を強化させてしまった結果なのかもしれない。

だとしたら……このまま何も返さずにいると、メイは余計に殻に閉じこもってしまう気がする。
ただでさえ二人は、一月前のやりとりで気まずい状況にあった。
これ以上に距離ができてしまうことは、できるだけ避けたい。

そう感じた御剣は、彼女をを追いかけて階段を駆け上がる。
浮上した重要参考人を連れてくるために、メイは一人貨物室から出ていこうとしていた。

「メイ」
振り返ったメイは、よそ行きの澄ました表情をしている。

「君が君の信念とロジックに従って真摯に捜査をしているのことは、見ていればわかる。」
「……それがどうしたというの?」
薄い色素の瞳が冷えた視線を御剣に投げかけた。
御剣は対照的にニヤリと笑って「やれやれ」と言わんばかりに肩を竦める。
「捜査はまだ結論が出る前の段階だ。
  読み違いなど、成長途上の人間にはよくある。気にする必要はない。」
「せ、成長途上ですって?!」

みるみるうちに顔を真っ赤にさせて、メイが御剣に食ってかかる。
「私はもう、立派に一人前よ!」
「その割には先程から、私の軌道修正が効果を発揮しているようだが」
「う、うるさいわね!」

ニヤニヤとした御剣の顔から、分が悪そうにメイの視線が外れていく。
「わかっているさ。君は殺された仲間を思うあまり、つい結論を急いでいるのだと。
  それも、青臭い時分にはよくあることだ」
「だから、コドモ扱いしないでよ!」
メイのコンプレックスを軽く弄る御剣と、それに対して本気で御剣に突っかかるメイ。
子供時代の二人がじゃれ合っていた空気が、そのままそこにあった。
ある種のデジャヴに御剣が表情を緩めると、メイの方も何かを思い出したように顔を赤らめる。

「……第一、私が言いたかったのは」
「言いたかったのは?」
さも興味深げに言葉を返してみると、
「……何でもないわよ」
メイは深く息を吐きながら言葉を止めた。
その表情は少しだけ、自然になったような気がした。

「相変わらず……人が良過ぎるわ、あなた」
言い捨てるように言葉を残して、メイはその場を去っていく。
御剣は、さまざまな思いが複雑に混ざったような表情で、その背中を見送った。

******

ラウンジのカウンターに、軽く拳を叩きつける。
「……バカみたい」
誰にも聞こえない大きさで、冥は思ったままの言葉を吐き出した。

御剣が言わんとしていたことは、伝わってきた。
冥は責務を果たしているだけなのだから、疑ったことを気に病む必要はないのだと。

彼なりに冥の立場に理解を示してくれたことには、心から感謝している。
ただ、あの態度には何故か、いつも以上に苛立ちを隠せなかった。
勿論、完全にヒトをコドモ扱いした言動のことである。

冥だって、もうすぐ二十歳になるというのに。
何度も何度も、冥の方が姉だと言っているのに、彼は妹を見る目で冥を見る。
そもそも二人は他人同士なのに、家族のように気安く近付いてくる。

そして何より気に入らないのは、何事もなかったかのように昔の通りに接してくることだ。
父親のことで、いろいろとあったのに。
そして――先月、兄弟のものとは全く違う表情で、冥の境界まで踏み込んできたくせに。
今日の御剣は温かく兄らしい眼差しで、そして少し距離をとって……まるで冥を見守るようにしていた。

彼を拒むべきだという自身の判断に従って、冥は御剣を遠ざける。
なのに……御剣の方から作られた距離に、何となく強い苛立ちを覚える自分がいるのが許せなかった。

「ほんと、バカみたい」
冥はますますイライラした思いを募らせながら、ファーストクラスへの階段を上がって行く。
 

そのイライラが、CAに色目を使う機長に対する鞭の乱舞として昇華されたことは、もはや、言うまでもなく。

<おわり>