「しのぶぐさ」

 

明るくファンシーな空間の中、賑やかな宴が繰り広げられている。

亡父に連れられて行ったパーティでは、教えられた通り社交的な淑女でいることができた。
しかし、アットホームな雰囲気のパーティには慣れておらず
冥はぶどうジュースを片手にひとり、壁の花のようになっていた。

数人が時折気に掛けるように冥を見て笑いかけるが、それ以上近づいてくることはない。
彼女が徹夜明けで疲れ切っていることは誰もが知っているからか……
どうやら、そっとしておいてくれているようだった。

ぼんやりと、参加者たちの人間模様を目で追っていく。
席では、真宵と春美、そして給仕姿の若い女性が楽しそうに談笑していた。

宴席に遅れてきた綾里真宵は、相変わらず笑顔だった。
一緒に連れて来られた春美も、やや戸惑いながらも真宵の思いに笑顔で応える。
彼女たちのことを深くは知らない冥にも、互いが互いを大事に思っていることが伝わってくるほど
二人の間には温かい空気が流れていた。

少し視線を横にずらすと、男たちが絡み合いながら飲んでいる図が目に入る。
すっかりできあがったヒゲが御剣怜侍の肩を掴み、
いわゆる男泣きの顔で正面から近付き何かを語っている。

少し顔を赤くした御剣怜侍が困ったように応えていると
後ろから妙ちきりんな絵本作家の卵が御剣の背中にタックルをかまし
バカな弁護士が横から肘で御剣の首を軽く絞め、何かをからかっている。

むきになって怒る御剣も周りの男達も、さながら気を許し合った少年のようで
彼がちゃんと自分の居場所を見つけたことを、冥は改めて実感していた。

そんな御剣怜侍を眺めながら、冥はひとり物思いに耽る。

彼は、綾里真宵の思いがわかると言った。
加害者の娘であり、真宵自身の妹同然の存在でもある綾里春美のために、
春美がこれ以上傷つかないように……真宵は親を殺されても、泣かずに笑っている。

その「理由」がわかる……御剣はそう言っていた。

御剣は推察することに長けた男なので、
実際のところは真宵の心中を客観的に察しただけなのかもしれない。

ただ、冥のもつ五感と記憶は、彼が実感をもってそう言ったのだと、持ち主に告げていた。

――レイジには、「綾里春美」に当てはまる存在……・私がいる。

冥の父は御剣の父を殺し、そのことを15年間隠し続けた。
冥と御剣はその事実を知らぬまま、10年以上の時を兄妹同然に過ごした。

それぞれが真実を知り、2年以上が経過した今でも
御剣は、冥の前では滅多にそのことを語らない。
語ったとしても、事実や論理的な見解を口にするだけだった。

冥もまた、父を喪ったことに対する感情を御剣の前で見せたことはなく
それにまつわることは……もちろん御剣の父のことについても……極力語ってこなかった。

実際のところは、気持ちの整理に着手する気持ちにすらなれぬまま
この1年、仕事に全てを注ぐ道を選んできただけなのだが。

そんな冥に対して、御剣は時に親身に時に厳しく……兄のように接していた。
1年ぶりに再会したその表情は、昔と変わらず屈託のない、穏やかなものだった。

――どうして、この男は私の前で笑っていられるのだろう……仇の娘なのに。

去年と今年、2度の再会を通じて、冥は密かに疑問に思い、
1年前には心地悪さを感じて、御剣への反発心を深めることもした。

そして今日……綾里真宵が笑っているのを見て、
確かに、自分と同じように親を亡くした同い年の娘が
そうしていられること自体を不思議にも思った。

だがそれよりも、以前に綾里真宵と御剣を重ね合わせたように
御剣に感じ続けた疑問と同じものが、冥の中で大きく蠢いていた。

成歩堂龍一をせっついて見解を言葉にするよう促すと、御剣も己の考えを口にした。

――“今こそ……・彼女は、強くなければならないのだ。
     その≪人物≫のために……・彼女は、決して泣かないのだろう。”

つまり、冥の考えが大筋で合っているとすれば
子供の頃からあれだけ苦しんだのに……恐ろしい真相を知った今でも、彼は強くいなければならない。
そして、悲しみや憎しみを顕にすることも、決してしないのだ。
おそらく……冥のために。彼女がそばにいる限り。

それだけ大事にされているのだということは、伝わってくる。
ただそれでも、未だに過去の記憶に苦しむ御剣のことを思うと
冥の心は、締め付けられるようにキリキリと痛みを覚えるのだった。

******

ふと見ると、メイと真宵が隣り合って会話をしている姿があった。
珍しい光景に、御剣はそのまま視線を固定させる。

二人は携帯電話を取り出して何かを見せ合い、キーを打ち込むような動作をしていた。
おそらく、携帯の番号を交換しているのだろう。
にこやかに笑い合う二人の姿に、御剣は微笑ましいものを感じる。
メイが同年代の女の子と楽しそうにしている姿は、おそらくはじめて見るものだった。

しばらくすると、真宵が頭を下げ、メイが優雅な仕草で人差し指を左右に振る。
二人が手を振り合って別れると、メイはコートと大きな鞄を手に、店から出て行った。

まるで、この宴から退出して帰っていくような風景に、御剣は慌てて立ち上がり真宵を捕まえる。
メイはどうしたのかと尋ねてみると、真宵は少し残念そうな様子で話をしてくれた。

「明日アメリカに帰るための準備があるからって、ホテルに帰っちゃいました。
  せっかく楽しんでいる空気に割って入るのもなんだから挨拶せずに帰るけど、みんなによろしく、とのことです。」

御剣も矢張と糸鋸刑事に絡まれていたので、どうやら遠慮されてしまったようだ。
駅まで彼女を送りに行くことを真宵に伝え、御剣はコートを纏って外に出る。

市街地へ出る道を早足で進むと、愛用の鞭を握りしめて街灯の下を歩くメイを見つけた。

夜は深まり、多くの子供は眠っていてもおかしくない時間だったので
声を掛けずに駆け寄ると、その足音に、鞭を構えたメイが振り返る。

街灯に照らされた御剣の姿を認めると、警戒していた表情がほっとしたように緩んだ。
「……レイジ」

「店を出るのならば、一言声をかけてくれてもいいだろう」
軽く叱るように声を掛けると、メイが唇を尖らせる。
「楽しそうにしていたのだもの。これでも気を使ってみたのよ」
水くさい、と呟くと、メイが少しだけ笑顔を見せた。

「……もう、帰ると聞いた」
「ええ。明日の定期便で帰れば、次の出勤に間に合うから」
あくまでも仕事第一の言葉に、彼女らしさを感じる。

折角の機会なのだから、もう少しだけでも時間を共有できたらいいのに……
そんな気持ちはやまやまだったが、御剣は引き留めることを諦めて
彼女の意思を尊重することにした。

「明るいところまで、送って行こう」
大通りまで出れば、タクシーを捕まえることができるはずだ。
そこまでは人通りの少ない夜道が続くので、女性を一人にさせるわけにはいかない。

「いいわよ、子供じゃあるまいし……鞭もすぐに構えられるようにしているわ。」
「そう言うな。成熟したレディはエスコートを受け入れるものだろう」

御剣の言葉に、メイは仕方がなさそうにため息をついた。
「折角だから、送ってもらってあげることにするわ」
表情から、高飛車な言葉がジョークであると伝わってくる。

メイは本当に見送りを必要としていない様子にも見えた。
ただ御剣の方は、滅多にない二人だけの自由な時間を
みすみす見逃せるわけがない。

彼女とは、まだ話したいことがたくさんあった。
 
 
道すがら、ふたりで他愛のない会話を続ける。
ビリジアンの顔色をしていた成歩堂のことや、
酔っ払って人格の変わった糸鋸刑事の珍妙な行動など、
取り留め無い話し声が、静かな住宅街の中で小さく響いた。

話が途切れ、断続的な車の音が耳に届いてくる。
目的地が近付くのを感じた御剣は、少しの決心を胸に、言葉を発した。
「今朝の、不謹慎な言動に関連して……なのだが」

少しだけ前を歩いていたメイが、その言葉に反応したかのように立ち止まる。
「……何かしら」

「以前……私が敗訴して、先生との関係が危うくなり始めたとき」
睨みつけるように御剣を見上げるメイの表情には、仄かに不安が滲んでいた。

「破門されてもキミとは関わりをもちたいと請うたこと、覚えているだろうか」
メイは返事をしなかったが、変わらない表情が肯定を暗示していた。

それ以上言葉を続けることに、不安を感じる。
だがもうすでに、それを止める術は彼の心に存在しなかった。
心臓が大きな響きと共に収縮を繰り返す感覚の中、
御剣は規則正しく行えなくなった息を、ぐっと飲み込んだ。

「あの頃から、いやその前からずっと…………私は君を想ってきた。」

まっすぐに彼女の目を見て、胸の内を告げる。

投げかけられた全てから目を逸らさぬように、メイは御剣と向き合っていた。

しばらくの沈黙の中、二人は見つめ合う。
ふと、視線をそのままに……メイが感慨深げに微笑んだ。
「……変わらないのね」

「ああ……思いは、変わらない」
「……バカなところも、変わっていないわ」
そう言ってメイは目を伏せ、ゆっくりと俯いた。

「……そして、私の気持ちも……あの時と変わらない。」

――弟、みたいなものよ。

俯いたメイの姿に、"あの時”のメイの言葉が重なる。
そこから感じたのは、受け入れることはできない……というメッセージだった。
「……そう、か」
落胆を隠せぬまま、御剣は精一杯の反応を示す。

「悪いわね。一度拒まれたことを話すのは……勇気がいったでしょうに」
彼女の意図と御剣の受け取ったものが同じであると、その言葉が告げていた。

ほどなくして歩き出したメイの表情はわからず、覗き込むことも憚られる。
ただ耳に残る、労うような突き放すような複雑な響きだけが、
御剣に彼女の心中の手がかりを与えていた。

「いや……こちらこそ、過ぎたことを蒸し返してすまなかった」
その言葉に、メイは小さく首を横に振っていた。

ひときわ明るい街灯に向かって、二人は歩く。
その間、言葉を交わすことはなく、
規則正しい二つの足音だけが暗い道に響いていた。

「ここまででいいわ。」
賑やかな 大通りまで出ると、メイがそう言って御剣と向かい合う。

「……そうか」
「エスコート、ご苦労だったわね。」
高飛車なその言葉は、翻訳すれば感謝を表している。
相変わらず素直ではない表現に、御剣は少しだけ顔を綻ばせた。

「それじゃ、元気で」
「ああ、君も。」
そう返した後、御剣は少しだけ言葉を続ける。

「また会おう。」
メイはその言葉の意味を察したのか、寂しがる子供を見るような目をしてそれに応えた。
「……また会いましょう。御剣怜侍」

そのまま身体を翻し……駅に向かって歩いていく。
……かと思いきや、5メートルほど歩いた彼女は
まるで何かを思い出したような表情で振り向いた。
その目はしっかりと、御剣の目を捕らえている。
「レイジ」

「あの時と決定的に違うことを、1つ思いついたわ。」
「……違うこと?」
御剣が怪訝な顔で問い返すと、メイが手のひらを彼の方に突きつける。
「あなたはもう、ひとリではない」

その表情は、法廷でロジックを導くときのように誇らしく、
そしてそれよりも少しだけ優しい雰囲気が漂っていた。
「あなたを助けてくれた人たちが、あなたのそばにいるわ。」

それは、彼を励まそうとしているようでもあり、別の意図があるようにも感じられた。
御剣の世界に狩魔冥はもう存在しなくても大丈夫なのだと……そう告げられているような。
朧気だが強く感じるその行間の言葉を、御剣はきっぱりと否定する。

「それでも……キミが私にとって大切であることに、変わりはない」
目を見てはっきり言葉を返すと、メイは困ったような笑みを浮かべた。

「……バカね」
それだけを呟くと、メイは踵を返してその場を離れていった。
 
 
その姿が見えなくなるまで、御剣は彼女を見送る。
市街地の光の中に彼女が消えても、御剣はしばらくぼんやりと立ち尽くしていた。

ふと、遠くで携帯が鳴っているような気がする。
我に返ると、ポケットから控え目な電子音が着信を告げていた。
液晶には、成歩堂の名が表示されている。

「おーい、御剣。」
電話をとると、陽気な声が御剣の耳に響き渡った。
「これから場所を変えて、二次会に行こうって話になってるんだ。
  たぶん朝までぶっ通しになると思うけど、お前も来るだろう?」

明るい言葉と賑やかな空気が、御剣の冷えた心をじわりと温めていく。
「ああ、私も今夜は思い切り飲み明かしたい気分だ」
無邪気な友人に心から感謝したいと御剣は強く思った。
悲しいことがあっても、手を伸ばせば彼らが近くにいてくれる。

――“あなたはもう、ひとりではない”

別れ際にメイが言っていたことを、ふいに思い出す。
今まさにそうであるように、御剣は成歩堂たちに救われている。

毎夜の悪夢への恐怖の中、ただひたすら“罪”を糾弾するだけだった日々を思い返せば
夜に怯えることもなく彼らと共にあり、理想の道を追い求めていられる今は、どれだけ幸せだろうか。

それに……メイは、再会の意志を否定しなかった。
何らかの形で絆があることも、恐らく拒絶してはいないだろう。

そばにいなくても、落ち着いた心で……兄として、彼女を見守ることはできる。
――だったらもう、それで十分ではないか。
溢れてしまった思いを、空気と一緒に無理矢理呑み込んだ。

元来た道に身体を向け、御剣は友人たちとの合流場所に向かって歩き出す。
喉の奥から感じる鈍い痛みには、どうやら耐えることができそうだった。
 

あの頃と気持ちは変わらない――
冥が口にしたその言葉の本意を、御剣は知る由もなかった。

 

<おわり>