「凍れる亡霊」

 

鎮魂の、鐘が鳴る。
 

いくつかあたって、ようやく受け入れてもらえた、海沿いの小さな教会。
その身をもって罪を贖った殺人者を弔う儀式。

参列者は家族のみの、密葬だった。

人には話していないが、冥が突然日本に移住した理由はいくつか存在する。
そのうちの一つが、獄中にある父の側にいたいという願い。
面会を希望しても一度も叶わぬ父だったが、それでも近くにいたかった。

罪が発覚して、1年足らず。
死刑執行は数年前から時期が早まる傾向にはあったが
それでも1年未満での執行は異例だった――よほどの根拠でもない限り。

反省が無く、悪質で、司法の権威と信用を大いに失墜させた。
高等裁判所での法廷記録には、そのように書いてあった。
おそらくはそれが根拠にあたるのだと、冥の検事の部分が告げている。

だが、それ以上何も考えられない。
そして、何も感じない。

あんなに大好きだった父の死だというのに、一滴の涙すら湧いてこなかった。
まるで、思考も感情も、ほぼ全てが止まってしまったかのように。

ふと、懐かしい顔が頭に浮かぶ。
普段なら憎悪と共に想起される小憎たらしい男の笑顔にも、何の感慨も湧かない。

水平線の上に広がる空を、ぼんやりと眺める。
この寒空の下で、必ずあの男は生きている。

――レイジは今、どこにいるのだろう……
何故か無性に、そのことだけが気になった。

*****

『パパを……返して』

メイが、泣いている。
一筋だけ涙を零して、唇を噛みしめて……ただ耐えるように俯いている。

駆け寄って涙を拭いてやりたいのに、足が動かない。
どうやら体を動かすこと自体、叶わないようだ。

――ああ、そうか。私には、その資格がないのだった。
彼女から父親を奪ったのは、恐らく自分なのだから。

目を逸らすこともできず、彼女が苛まれるのを、ただ見ていることしかできない。

――どうか、泣かないでほしい。

喉まで凍りついているかのようで、声をかけることもできない。
苦しい。

名前を呼ぶために、体に力を入れる。
たとえ資格がないのだとしても、その涙を止めなければ。

――メイ!
何度も何度も、声が出るまで抗い続ける。

繰り返すうち、ようやく喉から空気が出ていく感覚を取り戻す。
「……め……メイ……っ!」

――だが、その刹那……突如、世界の風景が切り替わった。
視界にあるのはメイではなく、白い天井と味気のない照明器具だけ。

しばらく茫然とした後……自分の大声に驚いて目を覚ましたことに、ようやく思い至った。

――夢だったのか。

光景が現実ではなかったことに、安堵の溜息をつく。
だがしばらくして冷静に考えると、再び気が重くなった。

夢から醒めようが、メイが泣いているのは恐らく事実だ。
あれだけ慕っていた、正しい存在として心酔していた父が、獄中から出られぬ人となったのだから
彼女に与えられた衝撃は相当のものだろう。

目覚めのシャワーを済ませて、服を着ながら空を眺める。
この空のどこか向こうで、メイが泣いている。

けれどやはり、自分にはどうしてやることもできないのだ。
そう感じて無意識に溜息をつく。

ちょうど、その時だった。

不意に、部屋の呼び鈴が鳴る。
郵便か何かだろうか。そう思い専用の穴から外を覗いてみると、
スーツを着たアジア系の人物が一人、直立不動で待機していた。
同郷の人間だろうか。嫌な予感がした。

「どちらさまだろうか?」
ドア越しに日本語で尋ねてみると、相手も流暢な日本語で言葉を返してくる。
「日本から来ました。検事局の者です。」

――やはり、監視されていたか。

警察が、重要と目した人物を監視していることは知っていた。
目的のために力を求めた結果、御剣は与えられた立場の割に上層部との繋がりが強くなっていた。
野放しにしておいて良いほど、無知な存在ではなかったのだろう。

「御剣怜侍さんですね。折り入ってお話したいことがあります」
「私には……ない。帰ってもらえるだろうか」

それでも、当然と言うべきか――相手は引き下がらなかった。
「狩魔豪死刑囚と……娘の冥さんについて、お伝えしたいことがあるのです。
  ……興味は、ありませんか?」

――先生だけではなく、メイについても?

記憶の底に沈みかけていた涙の主が、脳裏に蘇る。
あんな夢を見たばかりで、興味がないと言い切れるわけがなかった。

「――30分だけ、話を聞こう。」
そう言ってドアを開けると、招かれざる客は目礼して部屋の中に足を踏み入れた。

***

後日、――12月28日。

打診された復帰に決心のつかない御剣のもとに再び使者が訪れ、
ある情報とそれに関連する資料を届けていった。

元居た局の管轄で発生した殺人事件の概要と、それに関する法廷の予定についての情報だった。
有名な奇術師が起こしたものとして世間から注目されている、その事件の担当検事の名は、狩魔冥。
そして申請された弁護人の名は――成歩堂龍一。

御剣が興味を示すことを見越して届けられたそれは、指示した者の思惑通りに彼の胸中を突き動かす。

奇しくも、今日は12月28日――実父の、命日。
そして、その死の真実が明らかになり、第二の父が社会的に死を迎えた日でもある。
成歩堂もメイも、それらの出来事に大きく関連している人物だった。

先日もたらされた師匠の訃報の際に、メイが日本にいることを知らされた。

その時に渡された写真にあったのは、喪服を着た、人形の如く生気のない彼女の姿。
……葬儀に向かう姿の隠し撮りと思われるソレは、非常に悪趣味と言わざるを得ないが
その父と共にその魂を奪われてしまったかのようなメイの姿には、胸を締め付けられる。

――“パパを……返して”
あの日から、あの夢のメイの涙が、何度も頭の中もちらついた。
現実的な話ではないが……その度に、彼女から喚ばれているような感覚に支配されてきた。

――結局、逃れることはできないということか。……事実からも、彼らからも。

観念して、手元の資料に目を通す。
同封されていた手書きの捜査メモの中に、見知った筆跡を見出し
御剣は長い間切ったままにしていた携帯電話の電源に、ゆっくりと手を掛けた。

******

「あなたのおとうさんは、もう‥‥帰ってこないんだよ!」
雪景色の中、敵方の霊媒師が小犬のように吠えている。
冥は、その姿を滑稽だと感じながら眺めていた。

「私の‥‥パパ。狩魔 豪のことかしら。」
「そうだよ!だって‥‥だっておとうさんは!」

――そう。パパはもう帰ってこない。

「私がいつ、パパのことを話したかしら‥‥?」
そんなことはどうでもいいと言いたげな声が、自らの喉を通って外に出た。
改めて辛いはずの事実を突きつけられているというのに……何の感慨も湧いてこない。

息をして、降ってくるように与えられる仕事を、無心にこなすだけの毎日。
足元に積もったままの雪のように、ただ白い、無彩色の広がっているだけの世界。
あの時から、まるで時が止まったかのような日常が続いている。

ただ、今目の前にいる二人に対峙すると、何故か強烈な感情が湧きあがってくるのを感じた。
そして……この二人に重なって映る、あの男を想起するとき時にも。

「私はもう一度、あの男に会わなければならないの」
それを感じている時だけ……生きていることを自覚できる。

「私はもう一度彼に会って‥‥ケジメをつけてやるわ!
  ‥‥私の手で、ね‥‥。」

その感情の中では、筋合いも理屈も、どうでも良かった。
彼らを……あの男を道連れに、全てを燃やし尽くしてしまえばいい。

――きっとその時、私は解放される。

自らを燃やし尽くそうとするかのようなこの憎悪と、焦げ付くような胸の痛みから。
 

<おわり>